わたしは元から強い子ではありませんでした。
人に嫌われるのは嫌だし、喧嘩をしたり、陰口を言われたりするのも嫌で、そういう話をきくといつも落ち込んで、学校へいくのが憂鬱になったりする子でした。
けれどわたしは弱い子でもありませんでした。
学校へ行くのが憂鬱になったからといって、学校を休んだりはしなかったし、両親に学校の話を聞かれても、きちんと笑って、作り物の楽しい学校生活の話を答えられる子でした。

わたしはずっと無理をしてきたのかもしれません。ずっと耐えてきたのかもしれません。
本当はとても臆病で、小心者で、口だけの子だったのかもしれません。

だから今だって教室にいて、わたしの机の上にいろいろな落書きがされていて、それに心を痛めても顔には出さずに、無表情に無反応でいられるし、机の中にある教科書がぼろぼろでも、授業中にゴミが飛んできても、上履きがなくなっていても、わたしは泣いたり、取り乱したり、誰かに言ったりしないで、無表情に無反応でいられるのかもしれません。

わたしが何をされても、どれだけ辛くても無表情に無反応でいられるのは、わたしが強い子だからではありません。わたしがとても臆病だから、わたしは何事にも必死で耐えることができるのです。
わたしは全てが怖いのです。泣くのも、取り乱すのも、誰かに言うのも、全てが怖いのです。
泣いたらみんなに余計に陰口を言われるんじゃないかと怖いですし、取り乱すのもそうです。
今まで以上に酷い目にあうかもしれません。誰かに助けを求めるのも、助けを求めても誰もわたしを助けてくれなかったら悲しいから。そしてその悲しいことを知るのが、怖いから。

家に帰って、両親に学校の話を聞かれて楽しい作り話を笑顔で答えるのだって、本当のことを話して両親が学校に苦情をいってしまうのが怖いから。両親にわたしがみんなと仲良く出来ていないことをしられるのが恥ずかしいから、わたしは何も言わないのです。

わたしがずっと我慢して、耐えていれば、やがて時は流れて、みんな離れ離れになって、この状況はきっと終わりになってくれるのだと思います。
わたしがずっと無表情に無反応でいれば、きっと、これ以上酷い状況にはならないはずで、そんな保障はどこにもないけれど、わたしはずっとそう信じてきました。

今だって、そう信じています。



末永く不幸な夢を
(保障も確証もないことを信じているなんて馬鹿もいいところかもしれません。でも、何かを信じていないと怖くて、)



(終わり!)(ぼつねた)(味がない…)2008/01/11







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