昔誰かが言っていた。『なんで腕が二本あるのか知っているか』と。その後その人はこう言った。『腕が一本しかないと不便だ』と。

『腕が一本しかないと、大切な人をしっかりと抱きしめることが出来ない。

腕が一本しかないと、大切な人を掴んだ時直ぐに振りほどかれてしまう。

腕が一本しかないと、大切な人と手を繋いだ時もう片方で荷物が持てない。

腕が一本しかないと大切な人の体温を感じることがその分出来なくなってしまう。

だから腕は二本必要なのだ。』





それじゃあ大切な人がいなくなった場合どうすればいいのだろうか。抱きしめる相手も、掴む相手も、手を繋ぐ相手も、体温を感じる相手もいなくなった場合。一体どうすればいいのだろうか。


私は自分の両脇に垂れ下がる腕をみて、それからため息をついた。過去、私には大切な人がいた。大好きで大好きで、本当に大好きで。自分の命もいらないくらい大好きで、例えその人が人殺しだったとしても、私の気持ちは一瞬たりとも揺らぐことはなかっただろう。本当に大好きだった。真っ黒な髪の毛に真剣な横顔、眉間刻まれた皺も全てが大好きで、愛しくて、大切だった。抱きしめたときの煙草の香りやしっかりと掴んだ腕、繋いだ手の大きさや体をくっつけた時の温かさ。それら全てが大切だった。

あの時の言葉、仕草、香り、体温。どれも今となっては想い出でしかない。思い出す度に苦しくて息が出来なくなる。忘れられたらどんなに楽か。想いが消えたらどんなに楽か。

両脇に垂れ下がる腕を見るたびに思い出す。抱きしめた想い出、掴んだ想い出、繋いだ想い出、体温を感じた想い出。どれも今の私には何一つ必要ないと思った。何一つ思い出したくないと思った。全て消えてなくなればいいと思った。

どうすれば思い出さなくて済むのか。そう考えた私の頭に一つの名案が浮かんだ。

想い出が沢山詰まったこの腕を、切り落としてしまえばいいのだ。何も両方切り落とさなくたっていい。第一両方の腕を自分一人で切り落とすなんて無理な話なのだから。

抱きしめる、掴む、繋ぐ、感じる。そのどれをするにも私には相手がいないのだ。なら腕は二本も必要ない。一本で充分なのだから。

私は包丁を手に持って自分の腕の解体ショーを始めた。洗面所にある鏡を見つめて、包丁を左の肩に当てる。ゆっくりゆっくりと前後させ、段々力を加えていった。血が流れ出て、床が汚れた。それでも私はやめなかった。床なんて後で掃除すればいいだけの話なのだから。

それから暫くがたった。肉は案外すんなり切れた。けれど骨がなかなかに切れない。骨一本で垂れ下がっている私の腕。なんて奇妙な光景だろう。グロテスクもいいところだ。さらにその後も包丁で骨を断ち切ろうと四苦八苦したけれど、結局骨は切れなかった。ある程度傷がついて脆くなっただけだ。骨が予想外に硬かったのか、私に力が段々入らなくなったのか、どっちかはわからない。ただ着実に目の前の光景が霞んでいることだけは確かだった。頭もグラグラする。足もふらつく。それでも私は諦めないで、必死に切り落とす方法を考えた。そしてついに考え付いた。

自室にもどり、ベットを斜めに浮き上がらせる。そして浮き上がったところで腕をベットの下に入れる。丁度、手を離すとベットの足が直撃するあたりだ。それからさらにベットを高く掲げ、勢いよく手を離す。ガン、という鈍い音とともに骨にベットの足が直撃した。無理やり腕を引き抜くと、骨はもう千切れる寸前だった。私は右手で、左手の腕を一所懸命に引っ張った。力が思うように出なくて、なかなかにてこずった。

やっと左腕を無くすことに成功した。今左腕は床に転がっている。私は呆けた頭で部屋を見回した。部屋中に真っ赤な斑点が飛び散っている。全て私の血だ。こんなに血がなくなって、大丈夫なのだろうか。

考えたときは遅かったのかもしれない。だって、そこで私の意識は途切れてしまったのだから。




存在理由
(でも残念なことに片腕がなくなっても貴方の想い出は消えなかった)



(終わり!)(退かないで下さい!)(ちょっとやりすぎました)












inserted by FC2 system