夜の歓楽街、の裏通りを歩いているときのことだった。
ダンボールを敷いて地面に寝転がっている、たくさんのホームレスたちがわたしをみる。
わたしは少しだけ不快そうな顔をして(実際かなり不快だったのだけれど)ミニスカートから伸びている自慢の足を出来るだけ早く動かした。
視線が痛い。
はやく通り過ぎたい。
そもそも、この道を選んだのが間違いだったのだ。いくら人ごみが嫌いでも、我慢して大通りを歩くべきだったと思う。というか、人ごみが嫌いなら端から歓楽街なんかにこなければいいだけの話なのだが、いかんせん、美味しいシャンパンにブランデー、かっこいい男の子たちの誘惑に勝てるほど人ごみは嫌いではなかったのだ。
あとちょっとで通りを抜けられる。この視線もあと少しの辛抱だ。

「え、」

不意に、後ろから強い力で腕を引っ張られた。あらかじめの心構えがなかったわたしは踏みとどまることが出来ずに文字通りしりもちをつく形になった。
痛い。
ともかく尾てい骨が痛い。
わたしが突然腕を引っ張られたことよりも尾てい骨を思い切りぶつけたことに涙目になっていると、目の前に影が落ちて見上げた瞬間に勢いよく押し倒された。馬乗り、という表現がぴったりだろう。わたしは押し倒された勢いで今度は地面に頭を強打し、ついに目から涙が零れた。
ああ、痛い。
そのまま抵抗をしないでじっとしていると、首に手があてられた。どうやら首を絞めるつもりらしい。
え、まだ物語が始まったばかりなのにもうわたし殺されちゃうんですか?
こんな、髪が長くて煙草臭くて手がざらざらで息遣いが荒いホームレスのおじさんに、わたし、殺されちゃうんですか?
それはいやだ。

「や…めて、くだ、さ…いっ!」

足を思い切り振り上げると、おじさんは運動神経というか動体視力というか瞬発力というか、兎も角そういう類の能力が皆無だったらしく目を見開いただけで、そのまままともに足蹴りを食らってくれた。ちなみに打たれ強さも心構えも皆無だったのか、ふっとんだあげく打ち所が悪かったらしく、その場でうずくまりながらしくしくと啜り泣き出した。
なんだこのおじさん。

「だ…いじょうぶ、ですか?」

わたしが、え、わたしこれ正当防衛だよね?なんか傷害罪とかそういう類の罪に問われないよね?
だっておじさんが首絞めてこようとしたから蹴り上げたらふっとんで泣かせちゃっただけだよ、先に手を出した方がおじさんが悪い!…ような気がする。って感じにびくびくしていると、おじさんは「し、シイラっ…」と嗚咽まみれの声で叫びだした。身の危険を感じてわたしは逃げ出そうとしたけれど足をつかまれて上手くいかず、スカートの中が見えそうだったので仕方なくおじさんの隣に腰を下ろした。
まったくなんて心やさしい乙女のわたし。

「おじさん、シイラって人と逢ったの、何年前の話?」

「…に、にじゅうね、ん…っまえ」

「そっかぁ。わたしがそのシイラって人だと、思うの?」

「…そっくりなんだ、シイラにっ…」

「へぇー?そのシイラって人に、何をされたの?なんか、えらく恨みがあるみたいだったけど」

「かね、を、とられたんだ。散々みつがされて、捨てられた…」

「それは…残念だったね」

「す、好き、だったんだ。ほんとうに。ほんとうに愛していたんだよ。大切だった…」

「………」

「でも、シイラのせいで、俺は、俺は、こんな裏通りに、住まざるをえなくなっちまった」

「………」

「ころしてやるころしてやるころしてやるころしてやる」

それからおじさんは「ころしてやる」としか言わなくなってしまった。わたしの存在ももう忘れてしまったみたいで、ここがどこだかもどうでもいいみたいで、ただ一定に動く機械のようにひたすらに低い、掠れた声で「ころしてやる」と呟き続けた。

「ごめんなさい」

わたしはそれだけ言って立ち上がった。尾てい骨の痛みは既になくなっていて、強打した頭も、痛みはなかった。相変わらず呟き続けているおじさんは、わたしが立ち上がったのも歩き出したのも気付いていないみたいで、わたしは何事もなかったかのように暗い裏通りを抜けることに成功した。

「シイラ…」

この呼び名は、わたしの二百四十七番目の名前。
今の名前はりか。二百四十八番目の呼び名。

永遠に若いままでいられる体。
死ぬことがない体。

本当は、さっき首を絞められても構わなかったんだけれど。
苦しいのは嫌だし、わたしの綺麗な顔を醜く歪めるのもいやだったから。

でも、まさかホームレスになっているなんて、想像もしなかった。
いや、想像する以前にあのおじさんの存在なんて忘れていたのだけれど。
少しだけ、可哀想だと思った。


不老不死の美女、と、かわいそうなおじさん



(終わり!)(なんか唐突に出てきたネタ)(内容がごっちゃに…)2007/07/05










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