知らせを聞いて、飛んでいった。

その日は雨が降っていて、穿いているジーパンの裾が濡れて、重くなって、歩きにくかった。
隣を歩くのは弟の学ランを着てきたと笑顔で語る、俺と同じ大学の、同い年のやつ。
近年まれに見る童顔で、もうすぐ大学も卒業するというのに弟の学ランが幼すぎて似合っていなかった。なんて怖ろしい。こんな身近に不老不死がいたなんて。驚きだ。

俺はそんなことを考えながら、そいつが話す話を「へぇ、」とか「ふーん」とか、適当な相槌を打って、右から左へ受け流す。あ、このネタももう古いか。俺は結構好きなんだけど。「おい、ちゃんときいてる?」俺がそういわれたのは あいつがナシゴレンの名称の由来の話をして、マカオの街並みの素晴らしさの話をして、それからオセロで相手に勝つ方法の話をして、二回目のマカオの街並みの素晴らしさとエッグタルトについて語り、いまから広東語についての話をしようと口を開きかけたときだった。
そいつは俺の相槌がお気に召さなかったらしく、むっとしたように黙り込んでしまった。
俺にはそれが小学生が怒ってるようにしか見えなくて、思わず笑いそうになってしまったのだけれど。

「悪ぃ、」

俺が苦笑いを浮かべながら言うと、そいつは相変わらずむっとした顔で俺を眺めて、そのあと「仕方ないなぁ」と言って、再び広東語の話をしようと口を開く。ぴりりりり、そいつが「広東語はね、」の 広東語は、まで言ったところで携帯の着信音が響いた。俺の携帯だ。
俺はポケットから携帯を取り出して、むっとしたような残念そうな微妙な表情を浮かべて固まるそいつに「悪ぃ、」と口パクで謝る。

「はいもしもし」
「上下さんですか?」
「はい、そうですけど。どちらさ「看代悸総合病院のものです」
「病院?一体なんのようですか?」

俺が怪訝そうな声で言うと、若い女性らしき相手は「緋茶会さんのお知り合いの方ですよね?」と声を少し大きくしていった。電話からは彼女の声のほかに、がやがやというざわめきが聞こえる。たまにインターホンみたいな音と、呼び出し音も聞こえた。どうやら、本当に病院からの電話のようだ

「…はい。確かに彼女を知っています。ですが僕はもう彼女と縁をきりました」
「では彼女の親族の方の連絡先を教えていただけませんか?」
「彼女は十二年前に両親から勘当されています。お役に立てなくて申し訳ないですけれど、僕は何も知りません」
「そうですか…」
「彼女がどうかしたのですか?」

僕が尋ねると、電話口で彼女が戸惑うような気配を感じた。

「あの、…今日のお昼、ついさっきのことになります。緋茶会さんが、お亡くなりになりました」
「え…?」

それから電話を通して色々いわれたような気がするのだが、何を言われたのか覚えていない。気付いたら電話は切れていた。隣を歩いていたあいつは突然歩を止めた俺を訝しげに見上げて、それから「どうしたの?」と声をかけてきた。

「ごめ、…おれ、ちょっと行くわ」

そういって俺は駆け出した。後ろを振り返る余裕も、携帯をポケットに仕舞う余裕もなく、俺はひたすら走る。彼女がいる、病院にむけて。


病院に着いた俺は、そこら辺を歩いていた看護婦を捕まえて彼女の居場所を尋ねる。
捕まえられた看護婦は、汗だくで、息も絶え絶えな俺を気味悪げに見て、それから彼女の元へ案内してくれた。

彼女は消毒液の漂う、清潔そうな白い部屋の真ん中にある、清潔そうな白いベッドの上にいた。
首から上に白い布をかけられていて、表情は見ることが出来ない。
俺は静かに近づいて、彼女の表情を隠している白い布を退ける。
すると彼女の白く小さい顔が現れた。白い顔はいつも以上に白く、赤い唇はなんだか気味の悪い色をしていた。いつもの彼女以上に不健康そうな、生きていないような顔を彼女はしていた。
死んでいるみたいだ、と思った。

「ねぇ、」

呼びかけても、返事はない。
彼女の身体を隠す掛け布団をめくって、彼女の細い腕を握る。
冷たかった。
指先も握る。
もっともっと冷たかった。
死んでいる?彼女が死んでいる?
彼女の手首を握って、爪をつきたててぎゅっと握る。
彼女はなんの反応も示さない。
彼女はいつも死んでいるみたいだった。
しかしいまの彼女は死んでいるみたいではなかった。ほんとうに死んでいた。
俺が最後に逢った時よりも、もっともっとずっとずっと不健康そうな、身体になって、死んでしまった。
「ねぇ、俺らなんで別れたんだっけ」彼女からの返事はない。当然だ。だって死んでいるのだから。生きていないのだから。「俺、なんでお前と別れようと思ったんだっけ」俺は呟いて、冷たい冷たい彼女の手首から手を放す。そのあと、掛け布団を元に戻して、彼女の不健康そうな身体を隠してしまう。
「ねぇ、俺、お前に病気なおしてほしくて、別れたんじゃなかったっけ」
彼女から返事は来ない。俺が心のどこかで予想していた事態が、起こってしまったのだ。



思ったよりもずっと
(彼女の腕は細くて、俺の目は乾いていた)



(終わり!)(完全燃焼と不完全燃焼の狭間)2008/04/06





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