「おっじゃまっしまーす」

そういってコウはドアを閉じる。「鍵閉める?」と靴を脱ぎながら聞くと「閉めなくていい」と返ってくる。「わかった」コウは言って、靴箱の上においてある水槽を見る。緑色の水がはってある水槽の中にはフナと間違えそうなくらい大きな金魚が浮かんでいる。浮かんでいる、といっても決して死んでしまっているわけではなく、ただただ緑色の水の中をぼんやりと浮かんでいるのだ。表現方法として、これが一番しっくりくる。

「金魚、相変わらずでけーな」
「ゴンちゃん?愛情たっぷり注いでるから」

リビングに続く廊下を歩きながらいうと、きせきが後ろを振り向いて笑った。
コウは「へぇ。金魚って愛情ででっかくなるのな」とすんなりと納得して、きせきに続いてリビングへ足を踏み入れる。何度も来た事のある家だ。部屋の匂いも、家具の配置も、全てといっていいほどに知っている。
コウは当たり前のように腰を下ろし、台所へ飲み物を取りに行ったきせきにむかって「麦茶」と短く伝えた。
テーブルの上に鞄から紙束を取り出し、広げる。今週中に終わらせなければならない課題である。
ちなみに課題は三十枚のレポート提出という内容なのだが、テーブルの上には真っ白なレポート用紙が二十枚以上並べられていた。そして今日の日付は金曜日。提出は明日の午前までである。
コウはテーブルの上に並べたレポート用紙たちをじっくりと見回し、溜息をついた。
なかなかにピンチな状況であった。

「麦茶おまちー」

戻ってきたきせきが、両手に持っている麦茶をテーブルの隅のほうへ置いた。
そこしか置く場所がなかったのである。

「お前、どーすんだよレポート」

とりあえず10枚前後はやっといたけど、とコウはむすっとしたような声で言った。
テーブルの上に並んでいるレポート用紙たちは、実は全てきせきのものだったのだ。

「どーしようかねぇ…」

心配そうなのは言葉だけで、きせきはにっこりと笑って「とりあえずお茶でも飲みなよ」とコウに麦茶を勧める。

「あ、レポート代」

思い出したようにきせきは言って、テレビの横に置いてあるキャビネットの下から二段目の中からDVDを取り出した。

「はい、ありがと」
「…おう」

枚数限定で売られた、コウが好きなインディーズバンドのライブのDVDだった。コウはそれを暫く眺め、大事そうに鞄の中に仕舞いこんだ。
隣できせきはいつの間にかテレビをつけて、楽しそうに眺めていた。

「おい、お前レポートださねぇと本気でやばいぞ」
「うーん」
「聞いてんのか?」
「そーだねぇ…」

テレビから目を離さないきせきに、こいつはこういう奴だった、とコウは諦めに近い溜息を吐いた。
きせきに不得意科目なんてものはない。いつだって、なんだってすらすらと出来てしまう。周りの人たちはきせきを天才と呼んだ。それは間違っていないと思う。コウだってそう思うのだから。ただ一つを覗いては。
提出物、きせきはそれが出せないのだ。出せない、というよりはやらないのだ。出来ないのかなんなのかは知らないが、きせきは頑なに提出物をだそうとしない。それも、古文の提出物に限って、きせきは出そうとしないのだ。古文で提出物がある度に、きせきは決まって「古文のくせに提出物があるなんて生意気ー。レポート提出とか頭おかしいー」といって提出をしていなかった。
コウは「ほんとにもう知らねーからな…」と小さく呟いて視線をテレビに向ける。
そういえば、きせきは古文の提出物を一度も出したことがないくせに成績はやけに良かった。
おかしな話だよなぁ…とコウは思って、もしかしてこいつちゃんと提出物だしてんじゃねーのか?と考える。

「なぁ、」
「あ、電話。ちょっとごめん」

なんともタイミングの悪い電話である。
コウは開いていた口を閉じて、じっときせきを見つめた。
「もしもし?なに?今日?……いいよ いつものとこでね」会話はそれだけだった。きせきはすぐに電話を切り、コウに向かって謝った。

「彼女か?」
「うん。まぁそんな感じ」
「へぇ。ところでさ、」
「なに?」
「お前、なんで古文の成績いいの?」

コウがそう聞くと、きせきはじっとコウの顔をみつめ、それから顔を下に向けた。体が震えている。「なに笑ってんだよ」コウがむっとしていうと「いや…ごめん、」と笑ったままきせきは言った。

「悪いと思ってんなら笑うな」
「あはは…ごめんごめん」
「で。なんでだよ」
「そーだよねぇ。気付いちゃうよね。気になっちゃうよねぇ古文の成績の良さ」
「なんだよさっさと言え」

中々言わないきせきにコウは苛々としてきて、思わず口調を強めて言う。きせきは床に転がっている携帯電話を見つめ、それからコウのほうを向いた。

「実はね、さっき彼女いるっていったでしょ」
「ああ」
「あれさ、古文の看境先生のことなんだよね」
「…はぁ?!」

コウは驚きの声をあげる。
看境先生とは古文の先生で、生徒たちの間では綺麗な先生と評判だった。
結婚はしていないが彼氏がいるのは周知の事実で、確か金持ちの実業家という噂があった。
しかし、それは嘘だった、らしい。

「お、お前、あの先生と付き合ってんの?」
「まぁ、そんな感じ?」

さっきみたいによく誘われるんだよね、ときせきは楽しそうに笑った。
コウは未だ信じられないようで、笑うきせきを隣でただ見つめた。

「だから、古文の成績いいんじゃないかなぁ」
「お前、年上趣味だったのか…」
「いや、趣味じゃないけど。向こうが誘ってきたから。相手に不足はないって感じ?」
「先生のこと好きなのか?」
「好きじゃないよ。だって、他に好きな人いるから」

にっこりと笑うきせきに、お前に好かれる女 可哀想だな…、とコウは呟き窓の外の暗い闇を見つめた。



福と奇の対話



(終わり!)(うーん…キャラは結構気に入ってるんだけどなぁ)2007/11/10











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