わたしは人の為に動くことが好きです。
わたしはよく「お前は本当によく動くなー。みてて飽きないよ」と言われます。

自分でも、思う。わたしって、本当によく動くなぁ、って。
わたしは呼吸をするし、瞬きをするし、食事もする。
それは人間の最低限の動きであって、この動きをしないとわたしという人間はきっと生きていられない。
だから、この、人間の最低限の動き、はわたしの為に、わたしの意志で、やっている動きだ。
他の誰でもなく、わたしの為だけに。
でも、わたしがよく言われる「よく動くなぁ」って言葉の意味は違う。
呼吸とか、そういうことじゃなくて、もっと、不必要な、別にしなくてもいいような動きのこと。
わたしは、その、人間の最低限の動き以外のことは、全て人の為にやっている、と思う。多分。
わたしが口を動かすのは周りの人たちの為だし、わたしが楽しそうに笑うのも周りの人たちの為。
泣くのも、怒るのも、全部全部。わたしの意志だけど、わたしの意志じゃない。
全部、人の為にやっている。
つまるところ、簡単に言ってしまえば、わたしは、人の役に立つことが好きなのだ。

わたしは人から感謝されるのが好きだし、人に笑ってもらうのが好きだ。
それに、人に気に入られたりするのも、大好きだ。
周りにいる人全員に好かれたい。
わたしは自分という自我を認識したその瞬間から、常にそのことだけを思って行動してきたような気がする。
みんなに好かれたい。嫌われたくない。
それは中々大変なことで、でも、不可能なことではないと思っている。
いつもみんなの為に。
一人ひとりの性格を把握して、どう対処すれば自分の印象がよくなるのかを常に計算して。
みんな平等に接して、贔屓したりしない。
みんな同じ。誰か特別な人を作ったりはしない。
そうやって、ずっと過ごしていけば、きっとみんなに好かれる人になれるはず。

誰にも嫌われたくない。いつもみんなの中心にいて、みんなから頼りにされたい。好かれたい。
わたしはいままでずっと、そのことだけを考えて生きてきた。
だから、まさか、わたしは「好きだ」といわれて悲しくなることがあるなんて思いもしなかったのです。

たまたま聞こえてきた、教室の隅っこでの会話。

「え?あいつ? 普通に好きだよ。いい奴じゃん」
「なに、その 好き はそっちの意味じゃなくて?」
「ちげーよ。友達だろ、そりゃあ」

嬉しいはずなのに、嬉しくなかった自分に驚いた。
どうして、嬉しくないんだろう?
ずっとずっと、目指していたことなのに。
みんなに好かれたいと、願っていたはずなのに。
それとも、彼は「みんな」の内に入っていなかったのだろうか?
だから彼に「好きだよ」といわれても、嬉しくなかったのだろうか?
わからない。
どうしてわたしは泣いているんだろう?



そこに本当にはあるのか
(好きだ、といわれて悲しくなったのはこれが初めてのことでした。)



(終わり!)(び、微妙…?)(内容意味わかりました?)2007/12/20






inserted by FC2 system