朝。無機質な電子音に起こされて、彼の一日は始まる。



重い足取りで洗面所まで向かい、流れ出る水の冷たさに少しだけ怖気づきながらも、僕は覚悟を決めて両手で水を汲み、勢いよく自分の顔にぶっかけた。覚悟が出来ているとはいえ、やっぱり流れ出る水は冷たくて、僕は顔を少しだけ歪めた。ちなみに僕は、夏だろうが冬だろうが関係なしに絶対に顔は水で洗う。あの冷たさが嫌なんだけれど、本当に嫌なんだけれど、何故だか気持よく感じてしまうのは僕だけじゃないはずだ、きっと。
念のためにいっておくけれど、僕はマゾじゃないぞ。マゾじゃない。信じてくれなくてもいいけれど、僕は、マゾじゃ、ないからな。
そんな主張を脳内で叫びながら、流しの脇にかけてあったタオルを手にとり顔をふくと、強烈なタマネギの匂いがツンと鼻をついた。え?まってなんでタマネギ?タマネギなんてここ一週間くらい口にしていないんだけれど、なんでタマネギ臭? うわ、これ、顔、タマネギ臭くならないかな…。凄い不安なんだけど…。
僕は顔がタマネギ臭くなってしまうという人生初の危機に立たされながらも、決して新しいタオルを出して顔をふくなんて真似はしないで、そのままのタオル、つまり強烈なタマネギ臭を放っているタオルで顔の隅々までふき、肩にかけようと……思ったけれどやっぱりやめた。さすがにもうタマネギはちょっと…限界だった。

それからキッチンにむかって、冷蔵庫からアロエヨーグルトをとりだして食べる。朝ごはんは決まってアロエヨーグルトだ。リビングにあるテレビをつけると、プチ、という音がして、点いたかと思うと直ぐに消えた。…嫌がらせか?僕は眉間に皺を刻みながらもリモコンをテーブルに置き、家を出る支度を始める。テレビはもう諦めた。点けるのが面倒臭くなったのだ。


駅のホームで電車を待っているとき。ふと隣に並んでいる女の人に目がいった。いや、見とれてたとかそういうのじゃなくて、っていうか見とれるほど綺麗な人ってわけでもないんだけれど、いや、いいわけとかじゃなくて真面目に、僕の好みの人ではなかったんだけれど、ふと女の人の胸元に目がいったのだ。真っ赤なスーツをまとった女の人。その胸元は、やばい、いや危ない、変な言い方をすると胸が零れてしまうんじゃないかと心配するくらいに大きく開いていて、僕は思わず目を見開いたけれど問題はそこではない。断じて見とれてなんかいない。

女の人の襟のところに、白い、白い紙、値札が、ぶらさがっていたのだ。
こっそりと周りの人の反応を窺ってみたがどうやら僕意外に気付いた人はいないらしく、僕はどうしようかと数時間悩んで(実際はものの一分くらいだけれど僕には酷く長く感じた。つまりそれだけ本気で悩んだのだ)それから少しだけ勿体無い気がしながらも隣の女の人に教えてあげることにした。

「あの、」

「なんですか?」

「ね、値札、ぶらさがってますけど」

女の人は、僕の笑わないように最善の注意を払った指摘をうけとると、何故かにっこりと笑った。「実はこれ、ファッションなの」え?

「え…」

「最近流行っているでしょう?最新のお洒落なの」

「そ、そうでしたかすいません」

僕が戸惑いながらも、必死のポーカーフェイスを装って返事を返すと、女の人はもう一度にっこりと笑って丁度ホームへやってきた電車へ乗り込んだ。僕はこのまま電車にのるとあの女の人に話しかけられるんじゃないかと怖くなったので、その電車を見送って、結局3分後にきた次の電車にのりこんで学校へむかった。


4時間目。腹が減って授業を受ける気がしなかったので、僕は「体調不良」と偽って教室を出ていた。保健室へいこうか、それとも抜け出して牛丼でも買ってこようかと悩んでいるとき、廊下で一人の男の子に出会った。何年生だろう。見覚えのないことから、多分他の学年だろうと思いながらもすれ違おうとしたとき、僕は思わず声をあげる。

「うっ」

僕が声をあげるとその男の子は心配したように立ち止まり「どうしたんですか?」と声をかけてくれた。上履きの色で、男の子が一年生だということがわかった。ちなみに僕は最高学年であり、つまりそれは自分以外の学年には誰であろうと一切敬語を使わなくてもよいというある意味優越感あふれる特典をもっているというわけであって、なので僕は遠慮なしにその特典を使わせてもらうことにした。「ねぇ君、凄い匂いだよ。鼻が曲がりそうだ。一体なにをかぶったの?」

僕が声を上げた理由はただひとつ。その男の子から異常なまでの異臭を感じたからである。まったく、タマネギの次は異臭か。いい加減にしてくれよもう本当に僕の鼻が腐ってしまう。しかもこの男の子、頭から何かをかぶったのか、全身びしょぬれで頭は茶色く泡だっていた。匂いの原因はこれか?「あー、香水つけすぎちゃったからっすかね?それとも、朝時間がなくてシャンプー流してこなかったからっすか?」は?まじでいってんのこの子。ありえない。

「あれ?誰も気付かなかったんだけどな…」

男の子はそういって自分の匂いをくんくんと嗅いでいたが、昼を知らせるチャイムが鳴り響いた瞬間に「あ、それじゃ先輩しつれいしまーっす」といって走り去ってしまった。
一体なんだっていうんだよ。

結局僕はその異臭のせいで食欲をなくし、保健室で残りの時間を過ごした。


帰り道、今日は大好きな小説の発売日なので、電車にのって十分ほどの繁華街にある大きな本屋までやってきた。売り切れていないといいな、そう思いながら自動ドアをくぐる。
そこで僕は衝撃の光景を目にすることになる。

小説コーナーは店の奥にあるので、少女向けの雑誌売り場か、写真集や僕たち学生がいういわゆるエロ本、エロ雑誌コーナーを通り抜けないといけない仕組みになっている。まったく不便だ。普通エロ本コーナーが奥だろう。ツタヤとか、レンタルビデオ屋は大抵18禁コーナーは奥にあるのに。僕は毎回、きつい香水の匂いをさせて無駄に着飾っている女の子たちが立ち読んでいるほうの道を「どいてくれない?邪魔なんだけど」くらいの勢いで通っているんだけれど、さすがに今日はこれ以上自分の鼻に負担をかけたくなかったので、さすがにきつい香水の匂いは無理だと思ったので、しぶしぶエロ本コーナーを通ることにした。
そしてそこで呼び止められる。「ちょっとそこのぼうや」僕のこと?

エロ本コーナーの中ほどで足を掴まれる。軽く驚いて「は?」と声をあげると、周りにいた7,8人の男の人たちが一斉に僕のほうをむいた。みなさん、みなさんどうかお気になさらず。そのまま若い女の子や熟女たちが笑顔だったり、切ない顔をしていたり、涎をたらしていたりする写真をどうぞゆっくりとご覧下さい。
僕はそんなことを考えながら苦笑いを浮かべ、そしてつかまれた足の方をみる。
するとそこには床に寝転がった女の人がいた。

「ぼうや、あたしのことみてどう思う?」

「………」

聞かれて僕は言葉を失う。どう思うもなにも、なんでこの女の人はバスローブ一枚で本屋の床に寝転がっているんだろうか。ブラジャーやパンツと思われるものを近くの本棚の上に置き、バスローブの丈を思い切り際どくしながら女の人は僕にきいてきた。
そこで僕ははじめて思う。どうして、周りの人たちは何も気にしないのだろう。まるで、女の人の存在が見えていないみたいだ。どうして、どうしてみんな、気付かずにいられるのだろう。怖くなった僕は「他の人に聞いてください」といって本屋を駆け足で出た。ありがとうございましたー、という声を背中に、外はさっきと相変わらずの人ごみだった。
早くなった鼓動をおさめながら、僕はゆっくりと歩き出す。そこでまた「なぁそこの男の子」声をかけられる。見るとそこには逆立ちをしながら歩いている男の人。なんでだ。なんで逆立ち。
今度もこの男の人に気付いているのは僕だけらしく、周りの人たちは平気で男の人とすれ違っている。いや、おかしいだろ。

みんなみんな変だ。変だ変だ変だ変だ変だ。へんだ!
「どうして僕に話しかけるんですか?」と聞くと「今日はいい天気だね」と返ってきた。意味わかんねぇ。もうダメだ。



そんな少年の思いをよそに、その日繁華街に遊びに来ていた女の子たちは、ゲームセンターからでてきたところでたまたまその少年の姿を見る。そして不思議そうに話すのです。

「どうしてあの男の子は一人で話しているの?」「そうね、誰と話しているのかしら」



平成誕生男子学生奮闘記
(変ね。変だわ。あそこには誰もいないのに)



(終わり!)(突発的作品!)(久々ごめんなさい!)(ちなみにタマネギは実話です)2007/08/06
















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